阿弥陀経 その3
  
  佛説「阿彌陀經」
  (ぶっせつあみだきょう)
          姚秦三藏法師鳩摩羅什奉詔譯
          (ようしんさんぞうほっしくまらじゅうぶしょうやく)
 現代語訳へ

  舎利弗、(しゃりほつ)
  於汝意云何、(おにょうんが)
  彼佛何故、(ひぶつがこ)
  號阿彌陀、(ごうあみだ)
  舎利弗、(しゃりほつ)
  彼佛光明無量、(ひぶっこうみょうむりょう)
  照十方國無所障礙、(しょうじゅっぽうこくむしょしょうげ)
  是故號爲阿彌陀、(ぜこごういあみだ)
  又舎利弗、(うしゃりほつ)
  彼佛壽命、(ひぶつじゅみょう)
  及其人民、(ぎゅうごじんみん)
  無量無邊、(むりょうむへん)
  阿僧祇劫、(あそうぎこう)
  故名阿彌陀、(こみょうあみだ)
  舎利弗、(しゃりほつ)
  阿彌陀佛、(あみだぶつ)
  成佛已来、(じょうぶついらい)
  於今十劫、(おこんじつごう)
  又舎利弗、(うしゃりほつ)
  彼佛有無量無邊、(ひぶつうむりょうむへん)
  聲聞弟子、(しょうもんでし)
  皆阿羅漢、(かいあらかん)
  非是算數、(ひぜさんじゅ)
  之所能知、(ししょのうち)
  諸菩薩衆、(しょぼさつしゅう)
  亦復如是、(やくぶにょぜ)
  舎利弗、(しゃりほつ)
  彼佛國土、(ひぶつこくど)
  成就如是功徳莊嚴、(じょうじゅにょぜくどくしょうごん)

  又舎利弗、(うしゃりほつ)
  極樂國土、(ごくらくこくど)
  衆生生者、(じょうしょうじゃ)
  皆是阿毘跋致、(かいぜあびばっち)
  其中多有、(ごちゅうたう)
  一生補處、(いっしょうふしょ)
  其數甚多、(ごしゅじんた)
  非是算數、(ひぜさんじゅ)
  所能知之、(しょのうちし)
  但可以無量無邊、(たんかいむりょうむへん)
  阿僧祇劫説、(あそうぎごうせつ)

  舎利弗、(しゃりほつ)
  衆生聞者、(しゅじょうもんしゃ)
  應當發願、(おうとうほつがん)
  願生彼國、(がんしょうひこく)
  所以者何、(しょいしゃが)
  得與如是、(とくよにょぜ)
  諸上善人、(しょじょうぜんにん)
  倶會一處、(くえいっしょ)
  舎利弗、(しゃりほつ)
  不可以少善根、(ふかいしょうぜんこん)
  福徳因縁、(ふくとくいんねん)
  得生彼國、(とくしょうひこく)

  舎利弗、(しゃりほつ)
  若有善男子、(にゃくうぜんなんし)
  善女人、(ぜんにょにん)
  聞説阿彌陀佛、(もんせつあみだぶつ)
  執持名號、(しゅうじみょうごう)
  若一日、(にゃくいちにち)
  若二日、(にゃくににち)
  若三日、(にゃくさんにち)
  若四日、(にゃくしにち)
  若五日、(にゃくごにち)
  若六日、(にゃくろくにち)
  若七日、(にゃくしちにち)
  一心不亂、(いっしんふらん)
  其人臨命終時、(ごにんりんみょうしゅうじ)
  阿彌陀佛、(あみだぶつ)
  與諸聖衆、(よしょしょうじゅ)
  現在其前、(げんざいごぜん)
  是人終時、(ぜにんしゅうじ)
  心不顛倒、(しんぷてんどう)
  即得往生、(そくとくおうじょう)
  阿彌陀佛、(あみだぶつ)
  極樂國土、(ごくらくこくど)



  (現代語訳)
    
    
    「舎利弗よ。
    お前さんはどう思うんじゃ
    どうして
    その仏を「阿弥陀」さんと呼んでいると思う?
    舎利弗よ
    かの「阿弥陀」さんは
    ピカーンと「光明」をはなっていてそれは「無量」なのじゃ。
    ありとあらゆる所を照らし
    さえぎるものがない。
    だからこそ「アミダ」さんとよんでおる。
    むかしインドでは「無量光」の事を
    「アミターバ」「アミタユース」と呼んだそうじゃないか。
    だからこそ漢字で書いて「阿弥陀」さんというわけじゃ。
    舎利弗よ
    「阿弥陀」さんはじめゴクラクの住民の寿命は
    はかることすらできやしない
    なんと10の56乗才というから
    これにはきんさんぎんさんもびっくりじゃ。
    だからこそ「阿弥陀」さんというのじゃ。」


    「舎利弗よ。
    「阿弥陀」さんは成仏以来
    なんと432億年がたっているという。
    これはビッグバン以前から仏であったということだ。
    また舎利弗よ。
    「阿弥陀」さん説法を聞いた
    とんでもない数の弟子は
    東大大学院修士課程満期退学、阿羅漢のすばらしさだ。
    その数はてんで数える事すらできやしない。
    ましてや東大卒の菩薩の数など
    とんでもない。
    舎利弗よ。
    このゴクラクでは
    官僚などいないから
    そのすばらしい功徳は
    とっても美しい荘厳にすべてむけられるんじゃ。」

    「舎利弗よ。
    ゴクラクにきたものは皆
    アビバッチというまあ不退転の決意だけれど
    まだ中くらいのものと
    その中には最高位まで到達しているものと
    いろんな菩薩がいる。
    さっきもふれたが
    その数など数える事などできやしない
    これはもう無限をもちだし、
    勘弁してもらうほかない。」

    「舎利弗よ
    一般大衆がこんな事を聞いたら
    まさにゴクラクに生まれたいと願うのは当然だ。
    それは、
    アインシュタインや
    カントやヘーゲル
    ジョンレノンや松田勇作
    夏目雅子
    などの人達と
    一箇所に会い見えることができるからだ。
    しかし、ちょっとやそっとの功徳では  
    ゴクラクにうまれることはできないんじゃ。」

    「舎利弗よ
    まじめに普通に働く人々が
    「阿弥陀」さんの事を聞いて
    その名を心にとどめ、
    その功徳を信じ
    その慈悲を信じ
    その素晴らしさを想い
    その容姿を心にうかべ
    ほんとかな?と思っても
    また「阿弥陀」さま
    「南無阿弥陀仏」と
    一心不乱に唱えれば
    その人が臨終の時でも
    「阿弥陀」さんは聖人を引きつれ現前する。
    どかっと落ち着いて死んでいける。
    「阿弥陀」さんの慈悲でゴクラクに往生できるからじゃ。」



仏教について最初のページへ
葬儀・生花・花環・本郷金子商店HOMEへ