大仏さま

毘盧遮那仏
大仏さま。やはり「大」は「小」を兼ねるのでしょう。大きい事はいいことなのでしょう。まあ、わたしも「修学旅行」でばっちり、東大寺の大仏さまみてきましたが、印象にあまり残っていません。まさかこんな仕事をすると思わなかったので、興味の対象は自由行動、食べ歩き、タレントショップ、鹿、でした。
奈良東大寺大仏さまは「毘盧遮那仏」「ビルシャナ仏」で、「大日如来」のことです。「大日如来」は「宇宙」そのものである蓮華蔵世界から、ピカーンと万遍なく光を放っていますから、「光明遍照」であるわけです。とくに、真言宗では(東大寺は華厳宗です。)最もえらいとにかくすごい仏さまであるわけです。それを作ってしまうなどとても人間にできることではありません。考えられるのは「大きく」する事だったのでしょう。
ここでお釈迦様の身長を考えてみます。大きなお寺さんに行くと本尊も大きいのですが、たいてい「一丈(いちじょう)六尺(ろくしゃく)」でつくられています。これメートル法に換算すると「4.8m」つまりお釈迦様は「4.8m」の身長、大巨人であったらしいのです。(そんな事あるはずはないのですが・・・・・坐像の場合は八尺(2・4m))これを丈六仏とよび、丈六仏より大きい仏様を「大仏さま」と呼ぶようになりました。

ぐるんぐるんのパンチパーマは螺髪(らほつ)といいます。
ここでグンと歴史をさかのぼりましょう。もともと「仏教」には「仏像」などありませんでした。紀元前6世紀にはじまり、当初は、偶像崇拝を禁じていましたので、礼拝の対象はお釈迦さまの遺骨を納めた「ストゥーパ」=「仏舎利」でした。お釈迦さまは菩提樹・聖壇=台座などで象徴し礼拝したのです。(現在もイスラム教はアラーをこのような形で礼拝します。)
紀元前4世紀に「アレキサンダー大王」の東方遠征があり、古代ギリシアの文明とインドの文明は「ガンダーラ」で出会いました。ようするに、あのギリシア的な彫刻をつくった職人さんも、「東洋」に流入してきたわけです。紀元後1〜2世紀にはじめてガンダーラやマトゥラーで仏像がつくられます。
今、こそ「東洋」、「西洋」の文化の融合が必要ですが、我々今、お寺さんで見る仏像の貫流にヘレニズム文化があるわけです。世界は一つかもしれません。
それでは今一度「大仏さま」に。ぐるんぐるんのパンチパーマは螺髪(らほつ)といいます。最初の頃の仏像の髪型は波型【ウエーブ】程度でしたが、まあ、仏さまを像にするとき普通の人間と同じではありがたみがないわけです。そこでいろいろ考えぬいて(転輪聖王てんりんじょうおうがモデル)、三十二相八十種好(32の大まかな特徴と80のこまかな特徴)が決められました。そのに螺髪(らほつ)があるようです。
「大仏さま」どうしてつくられたか?天然痘、日照りなど世の中があれていたからです。聖武天皇は行基に協力をもとめ、国家の安泰を願い、東大寺に「大仏さま」、地方には「国分寺」をたてました。745年から光背の完成まで約26年。これは、まさに国家事業でした。
「大仏さま」一度は地震で首がころりと落ちたり、戦火で野ざらしになったり、まあいろいろ苦労してますが、現在は少し小さな大仏殿で、年末になるとすす払いされピカーンと光を放つまではいきませんが、「日本人」のこころに独特の存在感をしめし鎮座されています。
それは「毘盧遮那仏」でも「大日如来」でもなく
あくまで奈良の「大仏さま」なのであり
日本的神仏なのでしょう。



