達磨さま
達磨さん、「にらっめっこ」、「だるまさんがころんだ」、「だるま落し」で幼い頃遊び、受験、願掛けで「だるま」を買い求め、それこそ人生「七転び八起き」になればとおもい・・・・。
一つの事「九年間壁に向かって座禅し、手足が腐った」など凡人にはできはしない。
そこで仏教書をひもとけば、なんと禅宗の宗祖でいらっしゃった。150歳で中国各国を歴訪するなど、あくまで誇張の部分は否めないにせよ、伝説と真実は違う物ですから・・・・。
50年後も国会議員は当選すれば、嬉々として「だるま」に目をいれるでしょう。
達磨さん、仏教的には「菩提達磨」、サンスクリット語で「ボーディダルマ」生まれは南インド。お釈迦様から数え27代目の「般若多羅」の弟子となり、仏法を得て、「中国」へ渡り「中国禅」の開祖となります。
その「少林寺」での修行はというと、「面壁」といい壁に向かって座る。もともと「楞伽宗」と呼ばれていました。伝説は数しれず、梁の武帝との対話が有名でしょう。
「わしは、とにかく寺をあちこちにつくり、お経を死ぬほどうつし、雲水をそだて、仏教のためにかなり尽力してきたぞ。お前さんに聞くまでも無いが、私の功徳は大変な事になっているに違いない。」
「おっさん、なに寝ぼけた事をほざいているんじゃ。功徳などこれっぽっちもありやしない。」
「がびーん、このわしに功徳がないと・・・・。なんにもないと、お前さんそういうのだな。」
「あたりめーよ。おっさんのしてきた事など、この世界、ましてや天上界などにしたら、小鳥の爪、いやいやゴマ粒より小さな事。そんな事のため、どれだけの人に利権問題が生じ、実際、あそこの寺など工期削減のため柱の数まで減らされた。あんたの名声はほんの少しの期間だけだな。」
「それじゃお前さん、本当の功徳とはいかなることか?」
「ばかかおっさん、だいたいそんなもん、この世で求めようとすうるからおかしくなる。お金、名声、出世、M&A、一時の栄華でははかりしれない本当の功徳は、それは認識できるレベルではありゃしないんだよ。」
「その本当ののところがしりたいのじゃ!」
「つくづくあきれるよおっさん。そんなもん、ありゃしないんだ。校庭におとしたコンタクトレンズをさがすようなもんだ。とっととあきらめなさい。」
「あんた、一体なにものじゃ?」
「おれにもよくわからんよ、おっさん」
今風に書き直してみましたが、ここに中国禅、そして日本の禅に受け継がれる思想の一端があるわけです。

願掛けの縁起物だるまさん、これ実は向かって右(左目)からいれるそうです。いれる順序は阿吽(あうん)からきています。達磨さんまさか自分がこんな姿になっているとは、日本人にこれほど愛されているとは、あの世で座禅しながら、ちいっとも、おもっていないでしょう。



