観音経 その11
  
  妙法蓮華経觀世音菩薩普門品第二十五
  (みょうほうれげきょうかんぜおんぼさつふもんぼんだいにじゅうご)

  衆生被困厄(しゅじょうひこんやく)
  無量苦逼身(むりょうくひつしん)
  觀音妙智力(かんのんみょうちりき)
  能救世間苦(のうくせけんく)
  具足神通力(ぐそくじんつうりき)
  廣脩智方便(こうしゅちほうべん)
  十方諸國土(じゅっぽうしょこくど)
  無刹不現身(むせつふげんしん)
  種種諸惡趣(しゅしゅしょあくしゅ)
  地獄鬼畜生(じごくきちくしょう)
  生老病死苦(しょうろうびょうしく)
  以漸悉令滅(いぜんしつりょうめつ)
  真觀清浄觀(しんかんしんじょうかん)
  廣大智慧觀(こうだいちえかん)
  悲觀及慈觀(ひかんぎゅうじかん)
  常願常贍仰(じょうがんじょうせんごう)
  無垢清浄光(むくしょうじょうこう)
  慧日破諸闇(えにちはしょあん)
  能伏災風化(のうぶくさいふうか)
  普明照世間(ふみょうしょうせけん)
  悲體戒雷震(ひたいかいらいしん)
  慈意妙大雲(じいみょうだいうん)
  ○甘露法雨(じゅかんろほうう)
  滅除煩悩焔(めつじょぼんのうえん)
  諍訟經官處(じょうしょうきょうかんじょ)
  衆怨悉退散(しゅうおつしつたいさん)
  妙音觀世音(みょうおんかんぜおん)
  梵音海潮音(ぼんのんかいちょうおん)
  勝彼世間音(しょうひせけんおん)
  是故須常念(ぜこしゅじょうねん)
  念念勿生疑(ねんねんもつしょうぎ)
  觀世音浄聖(かんぜおんじょうしょう)
  於苦惱死厄(おくのうしやく)
  能為作依怙(のういさえこ)
  具一切功徳(ぐいっさいくどく)
  慈眼視衆生(じげんじしゅじょう)
  福聚海無量(ふくじゅかいむりょう)
  是故應頂禮(ぜこおうちょうらい)
  爾時(にじ)
  持地菩薩(じちぼさ)
  即従座起(そくじゅうざき)
  前白佛言(ぜんびゃくぶつごん)
  世尊(せそん)
  若有衆生(にゃくうしゅじょう)
  聞是觀世音菩薩品(もんぜかんぜおんぼさつぼん)
  自在之業(じざいしごう)
  普門示現(ふもんじげん)
  神通力者(じんつうりきしゃ)
  當知是人(とうちぜにん)
  功徳不少(くどくふしょう)
  佛説是普門品時(ぶっせつぜふもんぼんじ)
  衆中(しゅうちゅう)
  八萬四千衆生(はちまんよんせんしゅじょう)
  皆發無等等阿耨多羅三藐三菩提心
  (かいほつむとうどうあのくたらさんみゃくさんぼだいしん)


  (和訳)

   衆生困厄をこうむって
   無量の苦が身に逼らんに、
   観音妙智の力、
   よく世間の苦を救いたまう。
   神通力を具足し、広く智の方便を修して、
   十方の諸々の国土に、刹として身をあらわさざるなし。
   種々の諸々の悪趣、地獄鬼畜生、生老病死の苦しみ、
   漸をもって悉く滅せしむ。
   真観と清浄観と広大智慧観と悲観及び慈観あり、
   常に願い常に贍仰すべし。
   無垢清浄の光ありて、慧日は諸の闇を破し、
   よく災いの風火を伏して、普く明らかに世間を照らす。
   悲体の戒は雷震のごとく、慈意の妙なること大雲のごとく、
   甘露の法雨をそそいで、煩悩の焔を滅除す。
   諍訟して官所を経、怖畏なる軍陣の中にも、
   彼の観音を念ずれば、衆怨悉く退散せん。
   妙音、観世音、梵音、海潮音は、彼の世間の音に勝る。
   この故にすべからく常に念ずべし。
   念々に疑いを生ずるなかれ、
   観世音浄聖は苦悩死厄に於て、
   能く為に依怙となりたもう。
   一切の功徳をそなえ、慈眼をもって衆生を視たまい、
   福、海の如くにあつまること無量なり。
   是の故にまさに頂礼すべし。
   その時に持地菩薩、即ち座より立ちて、
   すすみて仏に白して言さく。
   世尊よ、若し衆生ありて、
   是の観世音菩薩品の自在の業と、
   普門示現の神通力を聞かん者は、応に知るべし、
   是の人は功徳少なからじと。
   仏が是の普門品を説きたまえる時、
   衆中の八万四千の衆生は、
   皆、無等等なる阿耨多羅三藐三菩提心を発せり。



  (解説)

   観音さま

   実は私にはあまり信心がありませんでした。
   しかし、2000年以上の時をへて
   今尚、日本人、大衆信仰のトップに君臨しつづけるには
   やはりなにかがあるわけだと思っていました。

   観音経には大衆を非難する事は何一つ書かれていません。

   四苦や煩悩や三毒や七難に人間は必ず遭遇します。
   「生きる意味」などいくら考えてもわかりません。
   それでも「生きなければならない」
   自殺はいけないことだと背中をおされ
   お金持ちは勝ち組みとよばれ
   どこか間違っているという想いは隠され、偽装されます。

   やはり神仏は必要なのでしょうか?
   観音経には「救い」が書かれていますが
   あまりに荒唐無稽です。
   現代にもフィットするハイブリッドな「観音経」が必要だと
   わたしはどうしても思ってしまいます。

   これが正直な感想です。



  (現代語訳)

   「みんなにさまざまな問題がおこり、
   その苦しみが身に迫ってきたとしても、
   観音さまの妙なる智の力が、
   みんなを苦しみから救ってくれる。」

   「観音さまは超能力をお持ちになり、
   とんでもない知識のなかから、
   TPOに合わせて、
   いつでもどこでも飛んできてくれる。」

   「いろんな、悪趣
   たとえば、地獄、餓鬼、畜生の苦しみ
   四苦の「生老病死」だって
   観音さまの力でそんなもんすらなくなる。」

   「なにしろ真観、清浄観、広大智慧観、悲観、慈観
   の五観をお持ちになり、
   これはアインシュタインですら無理な話だから、
   常に観音さまの救いの力を願い
   その功徳を仰ぎ、感謝するべきなのだ。」

   「一点の曇りもないすばらしい光は
   ピカーンと暗闇を照らし、
   災害を鎮めるように
   みんなの心の闇も清らかにし、
   あまねく世界を照らしてくださる。」

   「人の道にはずれた輩には
   ゴロゴロピカーンと戒めをさずけるけれど、
   その慈悲は真夏の入道雲のように大きいし
   そのお話はまるでマーブルチョコレートの雨のように
   あまーーいし、耳にやさしいし
   煩悩の焔をとっぱらってくださる。」

   「裁判ざたのときも、
   憲法第9条がなくなったときも
   観音さまに念ずるんだ。
   馬鹿な奴らは自分の間違えにきづくだろう。」

   「あれこれ詮索してもはじまらない。
   なんてったて観音さまだ。
   死の床にあったって、
   観音さまがなんとかしてくれる。」

   「一切の功徳をおもちになり
   慈しみの眼はつねにみんなに向けられる。
   その幸福は海のようにきることがない。
   だからこそ
   南無観世音菩薩
   観音さまと
   念ずるのだ。」

   ちょうどそのときでした。
   時地菩薩が座よりたちあがり
   お釈迦さまの前まできて
   次のように言いました。

   「お釈迦さま
   もしみんながこの観世音菩薩品を聞いて
   そのすばらしさを認めるならば
   その功徳は少なくないでしょう。」

   お釈迦さまがこの普門品をお説きになった時、
   聴衆84,000人はこれ以上がない
   「あーのくたらさんみゃくさんぼだい」
   「アヌッタラーサンミャクサンボーディー」
   「完全な悟り」をゲットしたのです。

最初のページへ
ホームページTOPへ