修証義 第二章 懺悔減罪
  
  仏祖憐れみの余り広大の慈門を開き置けり、
  是れ一切衆生を証入せしめんが為なり、
  人天誰か入らざらん、彼の三時の悪業必ず感ずべしと雖も、
  懺悔するが如きは重きを転じて軽受せしむ、又減罪清浄ならしむるなり、
  然あれば誠心を専らにして前仏に懺悔すべし、
  恁麼するとき前仏懺悔の功徳力我を拯いて清浄ならしむ、
  此功徳能く無礙の浄信精進を生長せしむるなり。

  浄信一現するとき、自陀同じく転ぜらるるなり、
  其利益普く情非情に蒙ぶらしむ。

  其大旨は、願わくは我れ設い過去の悪業多く重なりて障道の因縁ありとも、
  仏道に因りて得道せりし諸仏諸祖我れを愍みて業累を解脱せしめ、
  学道障り無からしめ、其功徳法門普く無尽法界に充満弥綸せらん、
  哀れみを我に分布すべし、仏祖の往昔は吾等なり、
  吾等が当来は仏祖ならん。

  我昔所造諸悪業
  皆由無始貪瞋癡
  従身口意之所生
  一切我今皆懺悔

  是の如く懺悔すれば必ず仏祖の冥助あるなり、
  心念身儀発露白仏すべし、発露の力罪根をして銷殞せしむるなり。




  ここからは懺悔の内容になります。
  なにかキリスト教のような感じが漂います。
  それはほとんどの宗教にも共通する事、
  懺悔は人間にどうしても必要な事なのでしょう。
  わたしなども
  懺悔する事ばかりです。

   二日酔い、キャバクラ、風俗、パチスロ
   それは皆いつともしれず
   わたしがもっていた
   むさぼり、ストレス、おろかさ
   などの妄想が原因です。
   
  懺悔しても
  後悔しても
  繰り返してしまう
  アー仏様ここからはまたわたしのあてにならない訳で、
  懺悔します。

   お釈迦さんは
   われわれの苦しみをみかねて
   仏教を志すものは
   来るものこばまずといって
   広大な門をひらき救いの道をしめされた。
   これはみんなを救いたいからなのだ
   この慈悲にたいして
   仏教を志さない人などいるだろうか?
   悪は必ず罰せられるが
   懺悔すればその罪は1gぐらい軽くなる。
   懺悔したことにより
   おもおもしかった気持ちも天使のように軽くなる。
   だから、誠心誠意
   こころのなかのほとけに懺悔するんだ
   素直に”あやまる”ということにより
   かつての雪印の社長のようにはならない
   晴れやかな気持ちにさせてくれ
   心機一転、ようしこれからはしっかりやるぞ
   罪は罪としてそれを償おうという気持ちすら生まれてくる。
   これで自分はおろか周りまで変わってくる。
   その利益は
   人間だけでなく、飼い犬、野良猫、公園のハト、土の中のミミズ
   、バクテリアまで及ぶわけだ。
   懺悔の仕方は簡単だ。
   「わたしの生まれたときからの数々の罪悪が
   これからの人生の妨げになる
   そんなバカな野郎ですが
   どうか、さとりの境地のほとけさんの慈悲により
   わたしの妄想をはらってください
   妄想の障壁をとっぱらい
   わたしの人生に道がひらけるよう導いてください
   ピカーンとした無限の功徳とサンサンとした無限の慈悲が
   わたしにもふりそそぎますように」
   こんなふうに懺悔すればいいだろう。
   私もお釈迦さんも
   元をただせば一人の人間
   お釈迦の悩みも私の悩みも
   時代がかわっても
   そんなに大きな違いはあるまい。
   だから一生懸命懺悔すればちょっとはお釈迦さんに・・・
   とおもったがこれは慢心だ。

     わたしが生まれたときからの悪業非道の数数は
     赤ちゃんのときにはなかったに
     いつからそんな事をするようにになったのでしょうか?
     むさぼり、いかり、おろかさなどの
     妄想が原因です。
     寄生虫のように突然わが身に
     入ってきたのではなく
     すべて私の身体、私の口、私の意識から生じたものです。
     ですから、こうして
     すべての事にたいして
     頭をさげているわけです。

   このように懺悔すれば
   お釈迦さんはなにかしらの智慧を授けてくれる
   だからお釈迦さんの姿を
   こころに想いうかべ
   座禅をくんで、合掌し
   懺悔文を唱える、罪の告白をする。
   その行為自体で
   罪は少しだけでも軽くなる。
   そして新しい自分がうまれてくるのだ。


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