帝釈天

日蓮宗経栄山題経寺
通称:柴又帝釈天
あのいつもの音楽のあと
「わたくし、うまれも育ちも葛飾柴又です。
帝釈天で産湯をつかい、姓は車、名は寅次郎
人よんで、フーテンの寅と発します。」
おおいなるマンネリのもと、帝釈天は再日本人のこころにその名をきざみました。
柴又の寅さん像の台座には
「寅さんは損ばかりしながら生きている
江戸っ子とはそういうものだと、別に後悔もしていない
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ごめんよさくら、いつかはきっと偉い、兄貴になるからなー
車寅次郎はそう心に念じつつ、故郷柴又の町をふりかえるのである」
と山田洋次郎監督の言葉がありますが、銅像になるぐらい偉くなってしまい、その点では、方向性の違いがありますが帝釈天と似てるのかもしれません。
帝釈天は本当は古代インドのバラモン教、ヒンドゥー教の神様インドラと同一です。甲冑をつけ、頭は結い上げ、白い像に乗っている。(乗っていない物もあります。)金剛杵を持ち阿修羅の軍と戦っているわけです。
帝釈天はなんと須弥山の頂上喜見城に君臨し、そのまわりの刀利天(とうりてん)の主として三十三天を統一しています。家来はなんとあの四天王(多聞天、増長天、持国天、広目天)。この四天王を、決まった日に人間の世界へ送り、善悪をチェックする。善行の人の命は延び、悪行の人の命を断つ。帝釈天に普段の生活をチェックされているとおもうと、わたしなどは、なんともいやな感じがします。
帝釈天詣ではそのようなもやもやと、日本古来(中国道教の影響下)の庚申信仰(こうしんしんこう)がかさなったものです。十干の庚(かのえ)と十二支の申(さる)つまり庚申の日に講の人たちが徹夜でおしゃべり、読経などをしたのです。(報告される過失をしないよう気をつけながら)(60日に一度)柴又帝釈天でももちろん本堂で一夜を明かし、一番開帳を受け、境内の御神水を汲んで、家に帰ったといいます。
寅さんのオブラートにつつまれて、現代、帝釈天という神仏の名前を知らない人は、25歳以上にはあまりいないでしょうが、実は実は、私などはちょっと敬遠したい神仏なのでした。
帝釈天さま、見ないでくれ、聞かないでくれ、言わないでくれ、と庚申信仰の「三猿」にならってどうしてもわたしなどは思ってしまいます。
あわせて「ごめんよ親父、いつかはきっと偉い、息子になるからな」。実際はいつの事かと悲しくなるのです。



