湯島4丁目

 湯島4丁目は台東区池之端との境になります。
 やはり現在も三菱関連施設の広大な敷地があります。
 さだまさしさんの歌で有名になった無縁坂を上ると、
 本郷の方へでます。

名称をクリックすれば移動します。
青文字の所にはリンクが貼ってあります。

湯島会館・湯島地域活動センター 麟祥院 文京総合体育館 三菱史料館
無縁坂 講安寺 湯島ハイタウン 湯島地方合同庁舎
切通公園 旧岩崎邸庭園


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●湯島会館・湯島地域活動センター
湯島会館 湯島地域活動センター
湯島会館 湯島地域活動センター

 湯島会館
 〒113-0034 東京都文京区湯島4-1-20
 TEL 03-3813-6554
 
 こちらは和室33畳のお部屋が午前・午後・夜間
 各¥1,000で借りる事ができます。

 ●湯島地域活動センター
 住所・電話上に同じ

 本郷・湯島・西片がその管轄区域です。

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麟祥院
麟祥院 山門 麟祥院 本堂
山門 本堂
春日の局の説明 東洋大学発祥の地
春日の局の説明 東洋大学発祥の地
お墓に通じる道 天澤山
お墓に通じる道 天澤山
六地蔵 春日の局
お墓を守る六地蔵 春日の局のお墓
春日の局御廟 葵のご紋・隅切角に三
葵のご紋と隅切角に三
春日の局墓標 春日局・観音さま
墓標に穴が開いている変わったものです。 観音さま始め諸菩薩が取り囲みます
春日局 お墓 無縁さま
説明 無縁さま
座禅会 禅とは心なり 誰か心と縁なき
禅とは心なり 誰か心と縁なき

 麟祥院
 〒113-0034 東京都文京区湯島4-1-8
 03-3811-7648

 正式名称は
 臨済宗 妙心寺派 天澤山 麟祥院

 春日のお局様のお墓があります。
 春日の地名、春日通りの名前にもなった
 文京区ゆかりの方です。

 辞世の句は
 「西に入る 月を誘い 
  法をへて 今日ぞ火宅をのがれけるかな」

 火宅は法華経の比喩品にでてきます。
 長者は遊びに夢中になっている子供たちを
 いろいろなおもちゃが表にあると方便を用い、
 火にくるまれた家から救出します。

 大奥制度の確立に
 政治手腕を発揮した
 春日のお局様も
 これでやっと煩悩にまみれた俗世間ともお別れだと・・。
 
 法号(戒名)は
 麟祥院殿仁淵了義尼大姉
 
 説明には

 「幼名は福、父は明智光秀の重臣、斎藤内蔵助利三、
 母は刑部少輔越智道明の女で、はじめ稲葉佐渡守正成の妻となり、
 正勝、正定、正利の三子をもうけましたが、
 慶長9年(1604)三代将軍家光の乳母として召出され三千石を賜りました。
 家光公が将軍職に就くため献身的な活躍をし、
 大奥の制度に尽くしたことは有名です。
 寛永5年家光公二十五歳の折、疱瘡にかかられ、
 諸医の手当にも験はなかった時、局は斎戒沐浴して
 東照大権現の神前に詣で、
 「将軍の病が平癒したら今後私が病気になっても
 絶対に薬を服用しません」と祷りました。
 その忠誠心に観応してか、日ならずして
 家光公の病気が恢復しました。そのため局は身の終わるまで
 針灸薬餌を一切用いなかったということです。
 (中略)
 寛永20年9月14日65歳で卒し、当院墓地に葬られました。」

 またこの麟祥院には東洋大の前身
 哲学館がありました。
 その説明です。

 明治20年(1887) この麟祥院内に「東洋大学」の前身である
 「哲学館」が創立された。創立者井上円了は、安政5年(1858)
 越後国(新潟県)の寺に生まれる。明治18年(1885)東京大学
 文学部哲学科卒業。2年後の明治20年(1887)9月16日
 哲学と宗教の啓発のため、私塾「哲学館」を境内の一棟を借りて開校する。
 哲学館で授業以外に今日の通信教育ともいうべき講義録を
 毎月3回発行し、哲学の普及につとめた。
 円了は大正8年(1919)大連で逝去 享年61歳


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●文京総合体育館
文京総合体育館 体育館内
体育館 外 文京総合体育館 裏
 
 ●文京総合体育館
 〒113-0034 東京都文京区湯島3-5-7
 TEL 03-3814-4271

 春日通りから少し入ったところにありわかりずらいのですが
 大変大きな体育館です。
 プールも隣接されています。

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三菱史料館
三菱史料館 三菱史料館
史料館 内

 ●三菱資料館
 〒113-0034 東京都文京区湯島4-10-14
 

 三菱といえば、
 やはリ岩崎 彌太郎
 三菱各グループは現在も日本経済の根幹をになっています。
 その三菱経済研究所に附属した資料館です。
 大変立派な洋風の建物の一角に、様々な資料が展示されています。

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●無縁坂
無縁坂 無縁坂 上り
無縁坂 説明 無縁坂 下り

 無縁坂
 湯島4丁目と台東区池之端1丁目の間
 
 さだまさしさん作詞・作曲の
 「無縁坂」は
 あまりに有名です。
 この歌詞の一部を今風に書きなおしますと
 ・・・・・・
 勝ち組だとか、負けたとか
 人は時々口にするけど
 ・・・・・・
 よりリアルになってしまうでしょう。

 不忍池から湯島、本郷に上るとき、
 かならず、この坂を通るのですが
 とても無縁などとは呼べない、とても感じがいい坂です。

 説明には
 「御府内備考」に「弥仰院前通りより本郷筋へ
 往来の坂にて、往古 坂上に無縁寺有之候に付、
 右様相唱候旨申伝・・・・・」

 ようは坂の上に無縁寺があったそうで、
 それで無縁坂とよばれたそうです。

 また
 団子坂に住んだ、森鴎外の作品「雁(がん)」の
 主人公 岡田青年の散歩道ということで、
 多くの人々に親しまれる坂となった。
 
 「岡田の日々の散歩は大抵道筋が極まっていた。
 寂しい無縁坂を降りて、藍染川のお歯黒のような水の流れ込む
 不忍の池の北側を廻って、上野の山をぶらつく。・・・・・」

 岡麓の歌もありました。

 不忍の 池の面にふる 春雨も
 湯島の台は 今日も見えぬも


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●講安寺
講安寺 講安寺本堂
山門 講安寺本堂
講安寺本堂と庫裏の説明 講安寺本堂と庫裏の説明 2
説明書 説明書2
本堂 漆喰 龍 講安寺 庫裏
漆喰に龍が 庫裏もとても古いものです
講安寺 山門 標語
山門の標語

 ●講安寺
 〒113-0034 東京都文京区湯島4-12-13
 TEL 03-3827-7703

 山門に標語が掲げられているのですが
 それによりますと

 「身分相應に最高の喜捨こそ
 最上のご供養 けちるべからず
 無理するべからず 布施の心得」

 「はるか供養の経の声、鐘の響きも
 しみこんだ深いなじみの寺の地こそ
 つつましくとも まことのお墓と申すなり」

 「お墓と戒名はよくぞ御信心をと
 ご褒美にさしあげる 心のお免状」
 
 漆喰で塗り固められた本堂は
 寺伝では1708年建立
 300年を耐え抜いた事となります。

 寺院の庫裏、住宅部分は幕末(1861年)のもの
 江戸期の建築形式をよく保存しているそうです。

 それは四代住職 顕誉の遺言、
 「類火は別格、寺内門前共に自火の用心専一
 に致す可き事」
 が忠実にまもられてきたからでしょう。
 

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●湯島ハイタウン
湯島ハイタウン 湯島ハイタウン 道路
中坂下り 右に入ると湯島の里です。

 ●湯島ハイタウン
 〒113-0034 東京都文京区湯島4-6-11〜12

 切通し坂にでんとあります。
 1968年、藤和不動産が手がけた大型マンションです。
 管理組合はそのまま町会となり
 様々な施設がマンション内にあります。

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●湯島地方合同庁舎
湯島地方合同庁舎 湯島地方合同庁舎
こちらは校庭の方になります。 こちらが正門だとおもいます。

 ●湯島地方合同庁舎
 〒113-0034 東京都文京区湯島4-6-15
 
 「財務省関東財務局東京財務事務所」
 「農林水産省関東農政局東京農政事務所統計部」
 「経済産業省関東経済産業局東京通商事務所」
 
 とあります。
 また関係者以外立ち入り禁止でした。

 なんとも長い名前・・・・。

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●切通公園
切通公園 切通公園 2
ゲートボールのゲートがありました。

 切通公園
 〒113-0034 東京都文京区湯島4-6

 写真をとったときおばあちゃん達が
 手弁当をもちよりゲートボールをしていました。
 直角に曲がった公園はとても広く
 暑い日は木陰になり、一休みには最適でしょう。
 

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●旧岩崎邸庭園
旧岩崎邸 案内 岩崎邸への道
お屋敷は大変広い敷地にあります。 岩崎邸への道
門 洋館
洋館
旧岩崎邸 内 旧岩崎邸
実は靴を脱いであがります。 各部屋の暖炉も見事です。
旧 岩崎邸 庭 旧岩崎邸 和館
洋館から芝生の庭 和館から日本庭園
旧岩崎邸 和館 旧岩崎邸 洋館
庭から洋館を
岩崎邸 球突館 旧岩崎邸 洋館
ビリヤードをする建物 洋館の横

 ●旧岩崎邸
 〒110-0008 東京都台東区池之端1-3-45
 03-3823-8340

 こちら旧岩崎邸は実は台東区池之端にあり
 載せるつもりありませんでした。
 しかしせっかく写真をとり、もより駅は湯島ですのでこちらに掲載いたしました。

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