浄土宗

法然房源空

阿弥陀如来
だれが始めたの?(宗祖)
法然(ほうねん)です。1133年現在の岡山県久留米群にうまれました。幼名を勢至丸(せいしまる)といいます。父は地方官人漆間時国(うるまときくに)といい、夜討ちにあい、勢至丸に遺言をのこしました。
「相手をうらんではいけないよ。相手をうらめば、うらみは次なるうらみをよび、うらみがつきることはない。お前は俗世間からはなれ、仏道をこころざしなさい。」
勢至丸はその遺言に忠実でした。母の親戚の菩提寺の観覚のもとに弟子入りします。勢至丸の才能を認めた観覚は、勢至丸を比叡山に修行に出すことを彼の母に勧めます。13歳 比叡山東塔西谷功徳院の皇円のもとで出家しました。
2年半後叡空(えいくう)に師事、「源空」とそのとき名づけられました。(法然房源空)、大変勉強熱心だった法然は様々な経典を読破していきますが、経典を読めども、読めども、修行をせども「悟らない自分」を自覚していきます。と同時に、武士・猟師・女性など成仏できない人がいるという事実にも心を痛めていきます。
「全ての人が救われるべきだ。」という信念が確信「全ての人が救われる。」となったのは紆余曲折を経た43歳のときです。
「一心に専ら、弥陀の名号を念じ、行住座臥、時節の久近を問わず、念々にて捨てざる者、これ正定の業となづく、彼の仏願に順ずるが故に」
(一心に阿弥陀仏のなまえをたたえて、念仏を唱えれば、極楽浄土に往生できる。)
という善導大師の教えにふれ「浄土宗」を開宗します。
浄土宗がその影響力を広げていけば、既成教団は当然おもしろくありません。延暦寺、興福寺の念仏をやめるようにという要求、弟子の不祥事の罪もをきっかけとして、1207年四国に流罪となりました。そのとき浄土真宗の開祖、法然の弟子親鸞(しんらん)も流罪となりました。
「たとひ法然上人すかされまいらせて、念仏して地獄に堕ちたりともさらに後悔すべからず候」なかなかいえません。 後に法然は許され京都へもどります。現在の知恩院で80歳の生涯を閉じました。
教えは?
阿弥陀如来は西方十万億土に極楽浄土をつくりました。その様子は「阿弥陀経」にかかれています。とてもきらびやかな光、美しい音学、苦悩のない世界で阿弥陀如来が説法をしています。その説法を聞いて仏(輪廻をたちきる)になります。
極楽浄土に往住するため、その存在を信じ、一心に「南無阿弥陀仏」と唱えること(専修念仏)をときます。
「観無量寿経」「無量寿経」「阿弥陀経」の浄土三部教がその中心のお経です。
法然がなくなる2日前に書かれたとされる「一枚起誓文」には、
「ただ往住極楽のためには、南無阿弥陀仏と申して、疑いなく往住するぞと思いとりて、申すほかには別の仔細侯わず」
とかかれています。
修行、読経などをしながら「信」を深めていく方法をとらず、阿弥陀如来の慈悲の大きさをはじめから「信」ずる方法は宗教的な大きな発想の転換だとおもいます。「祈り」の方法として「南無阿弥陀仏」の力に賭ける(表現がおかしいかもしれませんが)わたしは法然の勇気をかんじます。
ご本尊は?
もちろん阿弥陀如来です。
浄土宗の本山は?
知恩院(華頂山知恩教院大谷寺):京都市東山区林下町
七大本山
- 増上寺:
- 東京都港区芝公園
- 知恩寺:
- 京都市左京区田中門前町
- 清浄華院:
- 京都市上京区寺町通北ノ辺町
- 今戒光明寺:
- 京都市左京区黒谷町
- 善導寺:
- 福岡県久留米市善導寺町飯田
- 光明寺:
- 神奈川県鎌倉市材木座
- 善光寺大本願:
- 長野県長野市元善町
お仏壇の飾り方
東京でこれだけ飾れるお家はあまりありません。大切なことはご先祖様に対する感謝の気持ちです。仏壇がりっぱでもお参りしなければただの箱です。



