町屋斎場の歴史

町屋火葬場・日暮里火葬場・東京博善の門柱と地蔵尊
斎場の西にあらかわの史跡・文化財として説明板があります。そこにはこう記載されています。
町屋火葬場は江戸五三昧(ざんまい)の歴史を伝える。江戸五三昧とは、千駄木・桐ヶ谷・渋谷・炮縁新田・小原塚にあった火葬場をいう。小塚原の火葬場は寛文九年(1669)に下谷・浅草あたりの各寺院から移されたもので、火葬寺・火屋などともよばれた。
明治二十年、周辺の市街化により廃止、二年後に町屋に移転した。一方、火葬場の増設許可が下り、同二十年、東京博善社が日暮里火葬場を新設。その後、同火葬場は町屋火葬場の隣地に移ることになり、同三十七年の移転とともに、町屋火葬場と合併した。
荒川区教育委員会
上の小塚原(南千住)は、四代将軍家綱が寛永寺に墓参りにいき、火葬の臭気にいやになり、下谷・浅草から移転させたそうです。小原塚には火葬寺が20建てられました。20の寺は集団で火葬の仕事をうけおっていたようです。写真の地蔵尊も江戸時代の火葬寺のものかもしれません。
明治二十二年「東京市区改正設計」で、初めて火葬場は都市計画のなかに組み入れられ、桐ヶ谷・代々木・落合・町屋・萩新田の5ヶ所が決定されましたが、公営化はほぼ計画のみで、昭和11年唯一の都営火葬場「瑞江葬儀所」が設置にとどまります。
現在町屋斎場は民間会社鞄結梍資Pによって、経営運営されています。平成6年に改装され、現在もとてもきれいです。会葬にいらっしゃった地方のお客様はびっくりされます。「なんてきれいなんだ。ホテルみたいじゃないか?これは東京都がやっているのですか?」「いえ、いえ、実は民営なんですよ。」「へー、そうなんですか。」



