日蓮宗

大曼荼羅

日蓮聖人
大黒天
鬼子母神
だれが始めたの?(宗祖)
日蓮聖人(にちれんしょうにん)です。1222年、千葉県安房群天津小湊町に生まれました。幼名は「善日丸」であったとされていますが定かではありません。12歳で天台宗清澄寺にはいり、16歳前後で出家得度し「是生房蓮長」の名を与えられました。その後比叡山に登り、円城寺、高野山などにも遊学します。
様々なお経を読破し、修行をしある結論に達します。「法華経」こそが数あるお経のなかで最高のもので、これを末法の世にひろめなければならない。1253年、故郷の清登寺にもどり、旭が森にたち、太平洋に朝日が昇るとき、 「南無妙法蓮華経」とはじめてお題目をとなえます(宗旨建立)。
辻説法や折伏(しゃくぶく)など、とくに念仏、禅などの他宗派を徹底的に批判します。「念仏無間・禅天魔・真言亡国・律国賊」(この時代は民衆が浄土宗、地方豪族が曹洞宗、幕府が臨済宗などある程度信仰の基盤ができていて、そこにあらたな信仰を流布していくには強引な手法が必要だったのでしょう。)
1257年の大地震から、1260年「立正安国論」を北條時頼に献上します。念仏を批判された僧たちによる、松葉ヶ谷の草庵の焼き討ち、伊豆への流罪、小松が原での辻斬り、龍ノ口刑場で処刑をのがれ、日蓮は佐渡へ流罪となります。
流罪中の3年間に「開目抄」、「観心本尊抄」をかき(遺文その他多数教義論争による偽書も多数)、その後信仰の対象となる「大曼荼羅」をはじめて図であらわしました。
日蓮は53歳でゆるされて鎌倉にかえり、「法華経」にもとづく政治を提言しますがみたびききいれられず、身延山に入り、後進の育成につとめます。61歳で、現在の東京都大田区池上(池上本門寺)でお亡くなりになりました。
現在題目系の教団は数多く、解釈の違いなど(教義論争)により多数分派しています。日蓮宗 は総本山を身延山久遠寺におく教団です。ちなみに日蓮宗と名乗ったのは明治以降です。
教えは?
法華経の教えこそが、仏教の真実であるとします。
法華経では「二乗作仏」すべての人間は平等に仏になれるとします。「二乗」とはきびしい出家修行者(声門・縁覚)のことで純粋さゆえ、そのさとりは一般の大衆には理解しずらくなっていきます。よって、菩薩乗主義の在家仏教者たちは「二乗」はとても成仏できないとしました。(自分達のさとりにだけ執着しているから)
大乗の経典では「二乗」批判が多いのですが(維摩経など)、法華経ではその仏弟子たちの成仏がつぎつぎと保証されていきます。「悪人成仏」「女人成仏」も保証され、そこからお釈迦さまは自身を「久遠実成(くおんじつじょう)の本仏」であることをあきらかにします。(はるかな昔から自分はさとりをひらき、それから休む事なくこの現実世界において真理を説きつづけ、永遠の生命をいき、衆生を救済しつづける。)
日蓮はこの法華経は本仏が経典として、あらわれているものだとします。これだけのお経を万人が享受するため 「大曼荼羅」(法華経のもとに諸仏諸尊が帰一している境界)を図示し、「一念三千」と呼ばれる悟りの世界が集約された「南無妙法蓮華経」の題目に信をささげます。
念仏と同じような手法で「南無妙法蓮華経」ととなえ、法華経=本仏に帰依し、すべてのひとが救済される仏国土の建設をめざします。
ご本尊は?
もちろん大曼荼羅です。
浄土真宗の本山は?
- 身延山久遠寺(みのぶさんくおんじ):
- 山梨県南巨摩群身延町
お仏壇の飾り方
日蓮宗の仏壇
東京でこれだけ飾れるお家はあまりありません。大切なことはご先祖様に対する感謝の気持ちです。仏壇がりっぱでもお参りしなければただの箱です。



