代々幡斎場の歴史
代々幡斎場入口代々幡斎場の前身は文禄年間(1592〜96)には、四谷千日谷にありました。近くの千駄ヶ谷村をへて、1664年、代々木村狼谷(「大上谷」から)に移ってきたようです。火葬をする小屋が3軒あったそうです。
「葬儀概論」著:碑文谷創(表現文化社)によれば、
1896年のデータでは、火葬率は26.8%となっています。このデーターから推測すると江戸時代の全国の火葬率は2割程度でなかったかと思われます。とあります。それでもやはり、江戸五三昧の一つ、渋谷の火葬場は江戸辺境の地に移されたようです。
明治二十二年、市制・町村制が施行され、代々木・幡ヶ谷は合併され「代々幡村」となります。また、「東京市区改正設計」で、初めて火葬場は都市計画のなかに組み入れられ、桐ヶ谷・代々木・落合・町屋・萩新田の5ヶ所が決定されましたが、公営化はほぼ計画のみで、昭和11年唯一の都営火葬場「瑞江葬儀所」の設置にとどまります。
明治26年、東京博善の前身は代々幡の火葬場を吸収合併し、現在も鞄結梍資Pにより「代々幡斎場」として経営運営されています。平成8年に改装され、現在もとてもきれいです。私の記憶には古い頃の「代々幡斎場」があります。煙突があり、プレハブの式場は夏は暑そうでしたし、冬はとても寒そうでした。
「大理石」で「豪華」な斎場になる前の「代々幡斎場」には独特の雰囲気がありました。たしかにボロボロでしたが、「お葬式」をしているという感じは現在の「代々幡斎場」にはないものでした。



