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葬儀の心得・戒名・御布施について

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お客様が一番悩むところでしょう。 まず、戒名についてお話します。

戒名とは何でしょうか?
まず、仏教徒になることは、仏・法・僧の三宝に帰依することです。 その際に、受戒といって戒律を守ることを誓った名前を与えられます。 その2文字が戒名です。
本来、元気で理想に燃えた、若いときにいただきます。 生前に受戒するのです。キリスト教でいうクリスチャンネームのようなものです。
浄土真宗には戒律がまったくありません。 親鸞さんは肉食妻帯をし、自ら戒をやぶり、絶望し、一切の他力を確信したからです。 そのかわりに法名をいただきます。釈○○と○○の2文字だけです。
日蓮宗では、「法華経」が戒律そのものです。 ですから、特に戒律はこれだというものがありません。 日号といって「日」の字が入った法号をいただきます。
それでは戒律とはなんでしょうか?(在家信者の場合)
  • 不殺生戒(ふせっしょうかい)・・・生き物を殺しません。
  • 不偸盗戒(ふちゅうとうかい)・・・他人のものを盗みません。
  • 不邪淫戒(ふじゃいんかい)・・・邪(よこしま)な淫らな性行為をせず。
  • 不妄語戒(ふもうごかい)・・・・・嘘をつかない。
  • 不飲酒戒(ふおんじゅかい)・・・酒をのまない。

わたしには、何一つ守れません・・・・・・。 これは、現代人にとては実際なくなってからしか守れない事かもしれません。 女の子とデートして焼肉食べて、お酒飲んで、会社をずる休みしたら いっぺんで4つやぶってしまいます・・・・・。

それでは実際の戒名をみていきましょう

石原裕次郎さんの戒名をみてみます。

戒名
院号・院殿号
これが付いていると本来は、お寺を建てるほど、仏教に貢献した人の意味です。
道号
これは僧侶の尊称が一般にも用いられるようになりました。住んでる所、本人の名前などが使われます。
戒名
本名から1字とって用いることが多いです。 これが本当の戒名です。
位号
居士・信士・・男 大姉・信女・・女
居士・大姉号は社会的地位や名誉がある人
信士・信女号は仏教の正しい信者である人。

お布施について

お布施の金額、これは実は相当に難しい問題でもあり、 本当に単純な問題でもあります。

ものすごく乱暴ないいかたをしてしまえば 「(お布施を)出すほうがケチで、もらう方も欲がある。」 から問題が生じます。

みなさんはお布施をおつつみするときこう考えると思います。
「お寺さんに失礼が無い範囲で、できるだけ安く」
そう、安ければ、安いほどいいのです。 逆にお寺さんは,
「今後の寺院の経営を考えると、ある程度の金額はいただきたい。」
そう、高ければ、高いほど安心です。 両者が交わる所は「仏教に対する信仰」でしかありません。

しかし、この御時世、我我はどんどんと「仏教」からとおざかってしまいました。 両者の接点がなくなってきたのです。 都心部では、お寺さんと我々がお話するのは 「葬儀」のときぐらいという問題がでてきています。

それでは本来のお布施の本来の意味をみていきましょう。

大乗の菩薩さんが涅槃(ねはん)の境涯(きょうがい)に至るため 修行をしますが、その修行方法を波羅密(はらみつ)といいます。 その修行方法は全部で六つあり、これを総称して六波羅密(ろくはらみつ)といいます。

その1つに布施波羅密があります。 布施という言葉は以下のような話からできたようです。 「なんにももっていない裸の僧が家々をまわって説教をしていました。 その説教を聴いた家族が、僧の説教に感動しました。 なんとかして僧に施しをしたい。 しかし、何も渡すものがない。 これぐらいしか渡せませんといってやっとの思いで僧に渡せたのは なんと、赤ん坊の糞にまみれた布1枚だけでした。 (いまでも、お寺さんのお袈裟は黄土色が基本色です。)」

布施にも種類があります。

財施
金銭や物品などを他人に施すことです。 われわれがお寺さんにお布施として渡すのもこれです。 これは相手に感謝の心をもとめてはいけません。 見返りをもとめず、自分のできるだけの事をよろこんでするものです。 そのことを喜捨(きしゃ)といいます。 (ほんとうに見返りを求めない心が生じたらその人は仏様でしょう。) 施す者も・施される者も 空無我(無自性・無所得の自覚)でなければならないとされます。 金銭の大小などこの世の価値観でしかありませんから。
法施
仏教の理想とする教えを説き、衆生を救い、「真理=悟り」の世界 へ導くことをいいます。
無畏施
どんな人にもできる、人の悩みや不安を取り除き、安心を与える布施 雑宝蔵経のなかの無財の七施は以下のようなものです。
  • 眼施・・・・優しいまなざし
  • 和顔施・・和やかな明るい顔
  • 言辞施・・優しい言葉
  • 身施・・・・身をもってする
  • 心施・・・・慈悲心をおこす。
  • 牀座施・・お年寄りに席を譲る
  • 房舎施・・困っている人に宿を提供

以上どんな宗教者だって上のことすべて実践するのはむずかしいと 思います。われわれなどましてや凡人にとっても。 ただお布施にはこうした聖なる面もある事を知っていただきたかったのです。

次になぜ都市部のお布施が高いかを記します。

①お寺さんの地域に檀家が住んでいない。
檀家は住宅事情などによりどんどん遠くにはなれてしまいました。 お盆・お彼岸でお寺・自宅に伺うのも億劫になり 付き合いが疎遠になってしまいました。 (定期的な収入が減ってきました。) つまり、収入源が葬儀や墓地の販売に集中します。
②維持費・人件費(お寺さんの給料)などが地方より高い。
いかに住職といえども宗教法人であるお寺から給料が支払われます ここからはもちろん所得税、住民税などがひかれます。 ですから「坊主丸儲け」ではけしてありません。 ましてや若僧さんなんて、結構庶民といっしょです。
③お寺さんは檀家のものという意識が薄い。
葬儀などもわざわざホールを借りて、お寺さんではないところで するのが、多くなりました。

以下、私が思う事を正直に書きますので 気を悪くされた方がいらっしゃったらごめんなさい

お布施の額の高低で、戒名(院号、信士、居士、大姉)にランクがつく事 これは、いろいろ批判の対象になってますが なくなりません。 そういうシステムを作り上げてきたのは お寺さんばかりが批判されていますが、実は我々一般庶民だと思うのです。

つまり、あの世でも欲張りたいし、故人に欲張って欲しいのです。 その為、他の人より少しでもお金をおつつみし、お寺さんに渡して いい戒名を頂こうとする。 とても、人間的な行為です。 どんな人にだって見栄はあります。 あの世だって見栄ははりたいものです。 その欲求を満足させてくれるのが現在、みなさんが批判しているシステムなのです。

戒名は本来2文字しかありません。 時の実力者は、自分達の栄華を世間に誇示するため お金にものをいわせ、院号、大居士、清大姉という 立派な戒名を手にいれてきました。 仏教の本筋からははなれていきますが お寺さんだって目の前のお布施を 返すわけにはいかないでしょう。

浄土真宗には戒名はありません。 なくなってすぐ仏様になるのに、葬儀だっていらないはずです。 しかし、法名を与えますし 仏弟子はみな釈○○の3文字だけなはずですが 院号がついていたりします。 つまり、願いであり、欲であり、。その対価でお金を払っています。 (対価ではないことが本質ですが・・・・。)

俗っぽいというかたがいたらどうぞそう思ってください。 人間、理屈、倫理、常識ではわかっていても 不条理な事を受け入れなければ、生活できません。 きれいごとだけでは、生活できません。 戒名・お布施を声高に批判する人達にいいたいのは ”それでは、みなさんに戒名にかわるあたらしいシステムを提案してください!” ということです。

以上、様々な事を考慮してお布施の額を決めてください。 背景には非常に崇高な理念もあり、俗な部分もあります。 しかしそれこそ、人間だからこそではないでしょうか? 崇高な部分だけのお布施が現実になれば、この世はまさに仏国土です。 仏様で街はあふれ、犯罪などなくなるでしょう。 戦争が起こり、難民の方がうまれ、殺人、犯罪が起るのは 宗教者も、一般人も、同じく人間であり、 聖も俗もあわせもちながら、日々反省しながら生きている。 その事は今も昔も変わりありません。