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葬儀の心得・お墓

お墓

なんと仏教発祥の地、インドでは(80%以上ヒンドゥー教徒) 基本的にお墓はありません。(例外としてムガール帝国時代の霊廟などあります) ほとんどの方が火葬され、遺骨は母なる川「ガンジス」に還ります。

日本人にはなぜお墓が必要なのでしょうか?

まず、人間以外の生物はお墓を建てません。 アフリカゾウは仲間の「死」を意識するようですが 「お墓」までは建てません。

古代の日本人、お偉いさんがなくなると 棺におさめられ、喪屋にはこばれ、白い布がかけられたそうです。 毎日お供えものをし、歌に躍りに、飲酒と とにかく故人を守り抜き、一定期間すぎると埋葬をしたそうです。 これを「モガリ」といいます。

埋葬されるお墓はというと

  • 「支石墓」・・・土葬され、テーブルのような大きい石を2本の支石で支える。
  • 「方形周溝墓」・・・四角形に盛り土をし、周囲に溝をほる。
  • 「木棺墓」「石棺墓」

などであります。

稲作、金属器の普及により 貧富の差が生じてくると 人間の常として、実力者のお墓は巨大化していきます。 「墳丘墓」といって、盛り土の部分がだんだんでかくなる。 それで「古墳」がつくられ 大和朝廷の実力といっしょに、全国に広がっていきます。 「仁徳天皇陵」がその最大のものです。

西暦538年に「仏教」伝来があり、 646年の改新の詔、「薄葬令」により なんと墓の大きさ・造営期間・などまできめられました。

「皇族以上」
墓の内・・・長さ2.7m幅1.5m
外域・・・・・縦横15m 高さ8.5m
工夫1000名7日でつくりましょう。
「一般庶民」
※一日も留めず、土中に埋葬
※みだりに埋葬せず、決められた場所に埋葬 (いまでも「谷」が残る地名は、人々の埋葬地だと言う説があります。)

この頃の一般庶民の「魂」はどうなったのでしょう。 海、山、川、木、月、草葉 それぞれ、聖なる地、様々な場所に宿り 家族の行く末をみまもったのでしょう。 竹取物語のかぐや姫も 「あの世」から「この世」にやってきました。

この時代から最近まで続いた「お墓」の形式として 「両墓制」というものがあります。 これは非常におもしろい。 「埋め墓」に故人を埋葬し 「参り墓」で故人と対話する。 これは亡き骸と魂は別物だとする 日本人の「あの世」観をあらわしているものでしょう。 近代になり火葬が普及するのは当然です。

1549年 「フランシスコ=ザビエル」により 「キリスト教」が日本に伝来されました。 支配者は「一神教」を非常に恐れました。 と同時に、寺院の巨大化も非常に恐れました。 「徳川幕府」により「寺院統制」がすすみ、 「大本山」制が確立 末端の寺院までがこのシステムに組み込まれ 「うちの檀家にはキリシタンはいません。」 と宣誓書を書かされます。 同時に日本人は地域のどこかのお寺の檀家となり お寺さんの「過去帳」により戸籍を管理される 「寺請制度」の確立です。

1735年には「宗門檀那請合之掟」がだされます。 キリシタンと日蓮宗不受不施派、悲田宗は邪宗である。 以外になんと法事のことまで幕府に決められてしまいました。 1、檀那寺にいって、歓談・読経し、檀那役を務め 寺仏の修理建立をすること。役にも就かず、法事もしない 者は吟味する。

  • 檀那寺の僧侶は、死者の死相を見届けて邪宗でないこと を請け合って後に戒名を与え引導を渡す事。
  • 歩く事の出切る健康者にも関わらず、 寺に参拝しないものは厳重に吟味する。
  • 葬儀は檀那寺にて執り行い、・・・・。

これで、葬儀は菩提寺でという仕組みが完成し、 お墓ももちろん菩提寺で 先祖供養のため だんだんと立派になり 現代の「角石型墓標」ができました。

慶応3年10月14日の大政奉還 明治政府は「神武創業之始」の王政復古を宣言します。 日本人の宗教観を根底から覆す 「神仏分離之令」がだされ それまで混沌としていた、神様と仏様が分かれてしまいました。 第二次世界大戦後の神仏毀釈などありましたが 結局われわれには なにがなんだかわからない宗教観が残りました。

仏教も神道もキリスト教も ごちゃまぜになり 形式をなぞります。

お経の意味、バイブルの内容、八百万の神の存在 これらは、意味をなさなくなってしまっています・・・・・・。

しかし、形式をなぞる事で宗教体験をする。 その行為自体は人間やめられるものではありません。 クリスマスのプレゼント、ケーキだって、 神社の絵馬、おみくじ、お守り、お祭り、神棚だって もちろん、葬儀のお経、法事、仏壇だって もちろんお墓だって 全部日本人に必要なものです。

結局こうした
非日常的行事は「生と死」の問題に深く関わり われわれ、日本人は様々な行事を通して、「春夏秋冬」を実感し「自分自身の死生観を鍛えている。」

お盆のお墓まいりにセミの声をきいて、
暑い、暑いといってお墓に水をかけて、
四つに切ったスイカにはアリが集まってきて、
団子やなんかどうせカラスがもってくだろうと思い、
新聞紙をあつくまるめて、
線香の束に火をつけて、
帰りはちょっとご馳走でもたべようかと。
日本人にはやっぱり「お墓」は必要なのです。

それではお墓が無い人はどうすれば?

東京のお寺さんのお墓は高いんです。 公営墓地も何倍もの競争倍率。 民間墓地になると郊外へ 新しくお墓を求める方にとっては非常に厄介な問題です。 この問題はいずれ行政に解消していただくしか 方法がありません。 使用頻度が減った「各区」の出張所などを 解体し、ビルを建て、お墓を造る。 平面では限界がきているので 上に延ばすしかありません。 地震による心配は? どこでもいっしょです。 お寺さんのお墓だって強度の地震で 崩壊する物が多数でしょう。 年金問題と合わせてなにかと頭がいたいものです。