文京区本郷は生活するにはあまり向いていません。住居スペースがどうしてもせまくなる。
3段は飾れません。
納骨までお飾りし、線香をあげてください。
向きを気にされる方がいらっしゃいますが
諸説により、どちら向きでも大差ありません。
生活に支障のないよう飾ります。
それではいつものように
仏教には「六道輪廻」と「因果応報」という基本があります。
満中陰(49日)まで
死出の山をあるき、賽の河原で心を痛め
三途の川を渡り、衣領樹を目指します。
そして次々に諸王(諸仏が変身してます)に裁判をうけながら
生まれ変わる先を決定されてしまいます。
そこで遺族は読経したり、お線香を上げたりして
できるだけ、罪を軽くしてもらったり
なるべくいいステージに生まれ変わるお願いをします。
追善供養をするわけです。
- 初七日・・・不道明王(泰広王)
- 二七日・・・釈迦如来(初江王)
- 三七日・・・文殊菩薩(宗帝王)
- 四七日・・・普賢菩薩(五官王)
- 五七日・・・地蔵菩薩(閻魔王)
- 六七日・・・弥勒菩薩(変成王)
- 七七日・・・薬師如来(泰山王)
私にはこの裁判で勝利する自信が
まったくありません。
7回も裁かれるなんてうんざりです。
地獄なんてありゃしないと身勝手に考えていますが
この裁判本当にあったら
私は間違いなく地獄行きでしょう。
「因果応報」だからしかたありません。
浄土真宗にはこの考えがありません。
みなさん西方浄土にいらっしゃいますから。
中陰の間はあくまで悲しみを癒し
故人の徳を偲び、仏法にふれる場です。
よって追善供養は一切しません。
- 死出の山
- 長さ八百里といいますからおおよそ3200km
高さは不明だそうです。
これを七日間で登りきるわけですから
1日約457kmこれは常人には不可能でしょう。
- 三途の川
- これまた大河です。
渡り方は三通り
橋か浅瀬か濁流かです。
罪の重さで渡り方が違ってきます。
「六文銭」はこの川の渡し賃です。
- 賽の河原
- 大勢の子供が、小石を積んで塔をつくっています。
何のために?
仏法を聞く前に亡くなったため
功徳のため塔を積んでいますが
鬼がその塔をこわしてしまいます。
つまり、三途の川を渡れません。
親に悲しい想いをさせた罪のためです。
※衣領樹
2人の老人が死者の衣服を剥ぎ取り
この木にかけます。
そうするとこの木は罪の重さにより
形を変えます。
裁判のデータとなるらしいです。