と聞かれますと、仏教各宗派によりまったく違いますので答えはまるっきり違います。しかもお寺さんによって違ってきます。大体のタイムスケジュールはこちらを参考にしてください。
「思うに無常の嵐は時を選ばず処を定めず 老少のへだてあることなし。 しかるに恩愛の絆、いよいよ断ちがたく別離の情 また去りがたし。阿弥陀如来はかかる煩悩熾盛(ぼんのうしじょう) の我等を憐れみたまい、超世の悲願を立てたもう。 まことにこの本願の力によらざれば いかでか出離生死の道あらんや・・・」
我昔所造所悪業(がしょくしょぞうしょあくごう) 皆由無始貪瞋癡(かいゆうむしとんじんち) 従身口意之所生(じゅうしんくいししょしょう) 一切我今皆懺悔(いっさいがこんかいさんげ)
「・・・更に、霊山往詣の安心を示して曰く、 日蓮は日本第一の法華経の行者なり。 日蓮が弟子檀那等の中に、日蓮より後に来り候はば 梵天帝釈四大天王閻魔法皇の御前にても 日本第一の法華経の行者日蓮坊が弟子檀那なりと 名乗つて通り給うべし。 この法華経は三途の河にては舟となり、 死出の山にては大白牛車となり 冥土にては燈となり、霊山え参る橋なり。 霊山えましましては艮の廊にて尋ねさせ給え。 必ず待ち奉るべく候と云々。・・・」
衆生無辺誓願度(しゅじょうむへんせいがんど) 煩悩無数請願断(ぼんのうむすうせいがんだん) 法門無尽請願知(ほうもんむじんせいがんち) 仏道無上請願成(ぶつどうむじょうせいがんじょう)
葬儀・告別式は本来わかれていました。 葬儀があって、告別式があったのです。 しかし、現代の会葬者の事情、東京の火葬事情により 1時間の式で一体化しています。 葬儀・告別式が終わると 親族による最期のお別れ、一般のご会葬のお別れ (お花を棺にいれていただきます。) があります。
故人はほんとうに仏弟子になったのでしょうか? 西方浄土で阿弥陀さんの説法を聞いているのでしょうか? 霊山浄土にいらっしゃるんでしょうか?
わたしは地獄などというもんはないと確信してますが 上のことはわかりません。 また、この世の様にあの世にはランクなどないと 思っていますが 上のことはわかりません。 あの世があるか無いか わからなかったら あると思ったほうが幸せだと お寺さんが法話でおっしゃてましたが 近代科学に毒された私などには 2000年以上の叡智が すんなりと飲み込めないのも事実です。